京都・車椅子旅行2(宮川町・孫娘の舞妓)

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 旅行の初日は、京都の家に3時頃についたものの、久しく使っていない家の掃除。僕は掃除の邪魔なので、2階の書斎にこもったが、ここにたどり着くまでが大変。僕の設計した東京のバリアフリーの家に対して、日本趣味の叔父が作った家は、障害物だらけ。手摺などと言う無粋なものはない。東京の家では、何の心配もなく歩き回っている僕も、京都の家では介護が必要になる。

 旅行の2日目は、結果的に京都の花街歩きになった。孫娘が、十三参りの代わりに、舞妓に変身をしたいと言うので、宮川町の舞香を予約したという。昔の置屋らしいから、ちょっとした座敷くらいあるだろうと娘に告げたら、30分2千円で予約できた由。孫娘の変装が出来上がった頃を見計って、全員でその座敷に行く事にした。宮川町の歌舞練場の前でタクシーを降りて、江戸時代の風情の残る置屋街を、車椅子に乗って孫息子に押してもらう。低い目線だと、また変わった景色に見える。座敷へは庭から飛び石伝いで、縁側のそばの置石の上から、縁側に上がる。これが身障者にとってはかなりの難問。娘二人が両脇を支えてくれて、やっと座敷に上がることが出来た。40分ほど、孫娘舞妓と遊んで写真を撮ったあと、みんなで舞妓をつれて、建仁寺に行く。ここで、化粧落しのため、舞香に戻る次女と孫娘と別れて、我々一行は、花見小路をぶらついて、新橋方面に向かった。

 宮川町は、阿国歌舞伎の時代から始まった花街で、若衆歌舞伎の時代には、芝居小屋と茶屋が立ち並び、10代の少年が接待をしていたという。その「陰間茶屋」が、娼妓のいる遊郭に移行したのが江戸時代。その遊郭は昭和33年の売春防止法でなくなったが、今でも花街として、宴会を盛り立てるパーティホステスである芸者や、その見習いである舞妓が残っている。また、遊廓時代の建物も残っている。舞香で我々が借りたのは、そんな時代のVIPルーム。庭を眺めながら、しっぽりと濡れる部屋である。(写真はVIPルームにて、孫娘と)

 因みに、現代の芸者や舞妓は、芸能人。京都の花街では、それぞれの歌舞練場で春と秋に、日頃の唄や踊りを披露する。祇園甲部歌舞練場の都踊りや、先斗町歌舞練場の鴨川をどりは、よく知られているが、宮川町歌舞練場にも京をどりがある。見比べてみると、それぞれの花街の性格がわかる。僕にとっては、都踊りは格式ばっていて退屈、鴨川踊りは宝塚風、京踊りは庶民的でそれぞれに面白い。



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この記事へのコメント

たか
2016年12月21日 15:19
豊富な旅行経験の旅日記もさることながら日々の移り変わりの情景描写に心惹かれます
お孫さんの舞子姿と共に写ったお姿を懐かしく思い出しました
あの頃よりちょっと老けましたね・・・人の事は言えませんが私も婆あになりました
スーツケースが重く感じられるようになり苦労しておりますがもう少し頑張って旅してみようと思います
お体ご自愛ください

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