テーマ:気候・風土

無防備日本とノーテンキ

 脳出血の後遺症である右半身麻痺の治療のため、毎週2回30分ずつ、健康保険適用の、訪問マッサージを受けている。居間にマットレスを敷いて、横たわり揉んで貰うのだが、50過ぎの男性マッサージ師は話好き、手と口は別々の目的のために、絶えず動いている。その彼が面白いことを言い出した。  日本は外国からの攻撃に対して全く無防備だという。全国…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

9-4)砂漠公路(タクラマカン砂漠)

 4月3日。ケリア(干田)からニヤ(民豊)まで、西域南道を東に走り、此処で進路を北に変えて、砂漠公路を進む。この砂漠公路とは、石油採掘のために建設された道路で、外国人観光客のために解放されたのは10年ほど前。タクラマカン砂漠のど真ん中を縦断して、西域南道のニヤと、西域北道のクチャ(亀滋)を繋ぐ。この道路の走破が、今回の旅の主目的である。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

9ー3)西域南道(ホータン)

  4月1日、カシュガルからホータン(=和田=于闐=ウテン)まで、タクラマカン砂漠の中を走る。。「ゴビタン」と呼ばれる土漠の中には、それこそ何もない。この漠と言う字は、水が莫いの意味。石ころは結構多い。途中、青空トイレ休憩と、ヤルカンド(=莎車)での昼食以外は、ほぼバスの中。一日550キロの強行軍は、さすがにグロッキー。こ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

9-2)パミールへの道(カラクリ湖)

 カシュガルから、カラクリ湖や、タシュクルガンを経由、クンジュラブ峠を越え、パキスタンに入り、フンザ王国から、カシミールに入り、さらにインダス川に沿って、ガンダーラに抜ける道は、現在では、カラコルム・ハイウェイとして知られている。インドと中国が仲の悪かった頃、インドに対して圧力を加えるために、パミールを越えてパキスタンにいたる道路を、経…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

8―5)国境の町(イーニン)

 7月1日。カラマイからセリム湖まで400キロ、荒野を走る。セリム湖は、期待に反して、平凡なところ。でも、行ってみないとわからない。湖畔の草原にはパオが散在し、名も知らぬ花が咲いていた。このあたりの年間降雨量は決して多くないが、降る時には土砂降りになるらしい。そんな時には、鉄道の土手が、邪魔して、砂漠が湖になることがあるとか、そうならな…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

8―4)油田開発と魔鬼城 (カラマイ)

 6月30日。カナス湖畔から、ジュンガル盆地の西端を南下、油田開発で出来た町・カラマイに向かう。砂漠の中の道の両脇には、無数の小型採掘ポンプが並ぶ。ここで採れる原油は、硫黄分は少ないが、かなりの重質油である。常温では流れにくいので、蒸気を吹き込んで、温めながら汲み上げる。  砂漠の中を、タンク車を長く連結した、ジーゼル機関車が走って行…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

8―3)モンゴルの笛(カナス湖畔)

 6月28日、アルタイ市を後に、半砂漠の道を、カザフ族のテントを訪ねたりしながら、カナス湖に向かう。カナス湖自然保護区の入口は、山の一本道の入り口。ゲートが設けられ、一般の自動車は一切入れない。観光客は、ゲートで入場料を払って、観光専用の乗合バスに乗換える。九塞溝方式である。ゲート付近は現在ホテルの建築ラッシュ。来年からは保護区内の宿泊…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

8-2)五彩灘と屯田兵(ジュンガル盆地)

 ジムサルから五彩灘への道は、予想外の悪路で、到着した時には6時を過ぎていた。でも、緯度が高いことと、北京時間を使っていることもあって、日はまだ高い。強い風のために出来たヤルダン地形は、今回の観光の目玉の一つ。ヤルダンとはチュルク系の言葉で、風、雨などによって地面の柔らかい部分が侵食されて、堅い岩の部分が小山または堆積物のように数多く残…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

8―1)北庭古城(天山北路の北道)

 2006年6月、シルクロード・天山北路の町・ウルムチから、アルタイ山脈に囲まれたジュンガル盆地の東側を北上、ソ連と国境を接するカナス湖まで行き、折り返して、ジュンガル盆地の西側を南下、天山北路の町・イーニンまで行き、飛行機でウルムチに戻った。相当な悪路と辺境地帯を予想していたのだが、これが全くの期待はずれ。石油開発のために、道路はよく…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

7―4)シルクロード観光の拠点(ウルムチ)

 ウルムチには、1999年8月、2006年6月、2008年4月と3回訪れた。第1回目は西安から敦煌、トルファンを経由して、ウルムチまでの旅、第二回目はウルムチからカナス湖を経由してイーニンに至るジュンガル盆地周遊の天山北路の旅、第3回目はウルムチからカシュガルに飛び、タクマラカン砂漠の南周を走り、ニヤから砂漠公路でタクラマカン砂漠の中央…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

7―3)葡萄とカレーズ(トルファン=火州)

 西遊記で、火炎山といえば、三蔵法師一行の行く手に立ちはだかる火の山。その火を消そうと、孫悟空が羅刹女に芭蕉扇を借りに行く。そこでお決まりの大乱闘。トルファン盆地の北にある現実の火炎山は、砂漠の中の赤い岩山。夏は摂氏50度を越すという赤い山肌が、燃えている様に見えても不思議ではない。何もない砂漠の中に、火炎山と言う石碑と、三蔵法師一行の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

7―2)高昌国跡 (トルファン盆地)

 この写真、何の変哲もない砂漠の写真なのに、地平線の近くに、湖があるように見える。僕は始め自分の眼を疑った。しかし、この湖は、ツアー仲間にも良く見えたようで、カメラにも映っていた。ガイド嬢によると、このあたりに良く見られる蜃気楼との事。この蜃気楼は日が高く上がると消えて行った。ここは敦煌とトルファンの間の砂漠、苦労して玉門関を突破した三…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

7-1)敦煌(沙州)

.  1998年の敦煌は、まだ鉄道が開通していなかった。トルファンから、夜行列車で柳園に行き、そこからバスで砂漠の中の道を走った。空が茜色に染まる頃、敦煌に到着。琵琶の背弾きをしながら踊る西域の伎女(=舞姫)のシルエットが我々を迎えてくれた。ペルシャの舞姫たちによって、広められたというこの曲芸的な弾き方・反弾琵琶は、唐代にかな…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

6-5)カラコルムと植樹

 観光5日目はモンゴル帝国の旧都・カラコルムを訪ねる。ブルドのキャンプから、再びトランポリン・ロードを走る。バスからの風景は、相変わらずの草原。旧都といっても何もない。遠くに、城壁らしきものを発見。これが今日の目的のお寺・エルデニ・ゾー。城壁の中には、インド式、中国式、チベット式、それに、モンゴル式の寺院が散在する。  此処の展示…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

6-4)ナーダムとゲル

 観光3日目は、ウランバートルから350キロほど離れたブルドまでの移動。この区間は、まともな道路の予定であったが、その殆どが工事中。こんな時は、道路の脇の草原を自由にサファリである。何かに掴っていないと、バスの天井に頭をぶっつける。トランポリン・ロードと名づけることにした。途中何度かトイレ休憩を取ったが、もちろん男も女も青空トイレ。突風…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

6-3)文殊菩薩廟と騎馬隊ショー

 モンゴルの面積は日本の約4倍。これに対して、人口はたったの250万。その半分はウランバートルに住んでいるという。しかし馬と牛はそれぞれ200万頭、ヤギと羊は合計で3千万頭くらい。だから、一歩ウランバートルを踏み出せば、草を食む家畜たちの天下である。人は殆ど見かけない。そんな草原を走ること約2時間。マンズシール(文殊菩薩廟)国立公園は、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

5-8)黄土高原の家(循化)

8月16日朝、熱貢賓館を出発、パンチェンラマの生家のある循化を経由して、西寧に向かう。 このあたりは、黄河上流の黄土高原。黄河に削り取られた山肌が、荒々しい姿を見せる。木は生えないのだろうか。それとも切り尽くしたのだろうか。パンチェンラマの生家は、そんな風景の一角にあった。中国政府の肝いりで建て直された家は、豪華なもの。あたかも寺院の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

5-5)草原と峠越え(青海省へ)

 8月13日朝、僧侶の案内で、ラプラン寺の内部を拝観したあと、甘粛省の夏河県から、青海省の同仁県に向かう。この省境越えには、3500メートル級の峠を二つ越える。峠と峠の間にはチベット風の草原が広がる。高地の草原は、スイスでもアンデスでも何処でも同じのはずだが、僕には、何かが違うように思われる。近くに雪山がないせいかもしれない。微妙な草花…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

5-4)ラプラン寺(夏河県)

 8月12日午後。合作から夏河に向かう。夏河に着いて、小高い丘から、ラプラン寺を眺望。緑の斜面には黄色や紫の高山植物が咲き乱れ、ピックニック気分でくつろぐ。谷川では、羊の毛を洗う人々に出会った。のんびりとした気分で、山に向かって「草原情歌」を披露。仲間からは、40代の声ですねと、お世辞を頂いた。声量や肺活量はまだ大丈夫らしい。合作も夏河…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

還暦からの青春旅行 まえがき

 2011年6月24日、74歳の誕生日の2日後に脳出血で倒れた。病後2年くらいは、頭がぼんやりとしていて、何もやる気になれなかったが、去年あたりからだいぶ気力が出てきた。リハビリ病院での経験から、思い出を語ることは、言語機能のリハビリとボケ防止になることを学んだので、昨年から自分史を纏め始めた。それを打つことは、麻痺している右手のリハビ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

7ー7)砂漠の町の発明(ヤズド) 

 ヤズドは4000メートル級のシールクーフ山脈と3000メートル級のハラーネグ山地のあいだにある、1000メートル級の盆地にある砂漠の町。雨は殆ど降らない。寒暖の差が大きく、夏は40度から冬はマイナス20度にもなる。住みやすい場所ではない。しかし、西安からバグダードまでのシルクロードの要衝として、この町は発展してきた。シルクロードとは、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

珊瑚の海岸(浮上るソコトラ島)

 島の中ほどの、アラビア海側は、珊瑚礁。干潮だけの白浜で泳いだ後、帰り道で、立ち寄ったデハムリの浜は、波打ち際を除けば、すべて、珊瑚と貝殻で埋め尽くされていた。僅かに、その名の由来である、赤茶けた石が見える。  ここの海は、ダイビングの天国。シュノーケリングに来る若者が、最近増えたと言う。彼等が珊瑚や貝殻を持ち出し始めたので、島で…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

白砂の海岸(ソコトラ島で海水浴)

 ソコトラ島の面白さには、その海岸線の変化がる。アラビア海に面したホテルから、南に進み、竜血樹のある山を堪能したあと、さらに、南に進んで、インド洋に面する海岸に出た。白い砂丘のかなたに、エメラルド色の海が見える。この白い砂丘は、まさに雪景色そのもの。でも、それは紛れもなく、熱帯の砂丘。遠くに見える椰子の木が、それを証明している。砂丘の風…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ボトルの木(ソコトラの珍木)

 幹ばかり太くって、先にほんの少し葉をつけた、変な形の木が、山の中腹の斜面に、点在する。ボトルの木と呼ばれるもので、その太い胴体は、水を溜め込んでいる。土の殆どない岩場の斜面は、保水力がない。雨は降ってもすぐ流れてしまう。ならば、雨が降った時に、水を十分に吸って、貯めておき、乾燥に耐えようという、この木の環境適応である。木の胴を叩くと、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

竜血樹と乳香(ソコトラ産樹脂)

 ソコトラ島といえば竜血樹。マダカスカルのバオバブにも匹敵する珍樹である。竜血樹の樹皮を傷つけると、赤い樹液を出す。竜の血の様だというのでこの名前がある。今でも天然のピンクの染料として、使われているらしい。そんな竜血樹に初めて出会えたのは、島の中央の山岳地帯の峠の頂上付近。下は快晴なのに、海から吹き上げる湿気のために、峠の辺りは、雲で霞…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

ソコトラ島

 今回のイエメン旅行の最大のお目当ては、ソコトラ島で、珍しい植物を見ること。なんでも、珍しいものを見るのが、好きな僕。ガラパゴスや、マダガスカルに出かけたのと同じである。  ソコトラ島は、インド洋上に浮かぶ孤島。アラビア半島の南方海上950キロ、ソマリア半島の東方海上240キロ位置する。緯度的にはバンコクやマニラとほぼ同じだが、砂…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

6-8)ワジの中 (サユーンとタリム)

 サユーンでは、イギリス領アデン時代に、この地帯一帯を治めていたスルタンの城を訪れる。博物館もあり、ダンスの舞台もある。地方のリッチな殿様の家といった感じ。  サユーンもタリムも広いワジの中の町である。ワジの岸である岩山と、その裾に建つ町は日本では見られない変わった風景である。タリムでは、東南アジア貿易で、財をなしたという商人の豪…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

6-7)砂漠の城塞都市(シバーム)

 オスマントルコの進出支配に拮抗して、イギリスもイエメンに進出した。アデン港が占領されたのが1839年。さらに、英保護領アデンが出来たのが1888年。このとき以来、1990年の南北合併まで一世紀、イエメンは二つの国に分かれることになる。  北イエメンとソコトラ島の旅を終えて、我々は、ソコトラ島から南イエメンのムッカラに飛んだ。此処…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

6-6)沿岸部の砂漠地帯(モカ)

 タイズから、山道を下ると、次第に貧しくなる。暑さも増す。高原のタイズから、海岸のモカへの道は、現在建設中。砂塵の舞う仮道路から眺める、工事中の本道路は、なかなか、しっかりとした基礎工事。この砂漠の中の道路建設も、やはり中国の技術援助だとか。歴代、中国は土木工事の先進国である。海岸沿いの完成開通した高速道路に入ると、らくだの群れが、道を…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

6-4)ヒムルヤ王国(コフランとアムラン)

 シバの女王の王朝に続くヒムヤル王国は、西暦紀元前後に、インドや東南アジアと、ギリシャ、ローマを結ぶ中継貿易で栄えた国。フェニキア文字を使っていたと言う。灌漑も行われて、豊かな国であったらしい。しかし、ササン朝ペルシャの興隆によって、インドとの貿易ルートがペルシャ湾経由に変わり、イエメンの没落が始まった。また、キリスト教やイスラム教の興…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more