テーマ:風紋・オリエント紀行

あとがき(僕はイスラムに馴染めない)

 ネット・サーフィンで、面白い資料を見つけた。アメリカの調査機関が、イスラム教徒の考え方を、国別に調査したもので、次の質問が含まれている。    1)イスラム法(=シャーリア)を国の法律にする。    2)イスラム法に基づき、家族・財産関係を宗教裁判で裁く。    3)イスラム法に基づき、イスラム教棄教者を死刑にする。    4…
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還暦からの青春旅行 オリエント編 目次

このブログに2月1日から連載した旅行記の目次です。 第1章 チュニジア(カルタゴ)    1)カルタゴの遺跡(古代のチュニジア)    2)ポエニ戦役(ローマとカルタゴの戦争)    3)アントニウスの浴場とバルドー博物館(ローマの時代)    4)ブルギバ廟(現代のチュニジア)    5)アラブの城塞(スースの旧市…
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還暦からの青春旅行 まえがき

 2011年6月24日、74歳の誕生日の2日後に脳出血で倒れた。病後2年くらいは、頭がぼんやりとしていて、何もやる気になれなかったが、去年あたりからだいぶ気力が出てきた。リハビリ病院での経験から、思い出を語ることは、言語機能のリハビリとボケ防止になることを学んだので、昨年から自分史を纏め始めた。それを打つことは、麻痺している右手のリハビ…
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8-6)フーシとアルカイダ (現在のイェメン情勢)

 2015年3月現在のイェメンは、北イェメンの北辺の町サーダから、首都サーナに攻め込んできた、ホウシーまたはフーシ(Houthis)と呼ばれる、ザイド派(=イェメンのシーア派)の武装集団が、クーデターによって政府を掌握した。しかし、南イェメンに広がるスンニ派の過激派組織アルカイダや、北辺のサウジ国境地帯の部族連合は、相変わらず騒乱含みで…
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8-5)チュニジア銃撃事件

 3月13日のブログで、エジプト、リビア、チュニジアの3国が、イスラム国または過激スンナ派の、テロの次のターゲットになる可能性が高いと述べた。その心配は、不幸にして的中、チュニジアのバルドー博物館前で、クルーズで訪れた観光客を狙った、銃撃テロが起こってしまった。まだ犯行声明は出ていないので、アルカイダ系なのか、イスラム国系なのかは、不明…
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8-4)ジャスミン革命とイスラム国

 チュニジアのジャスミン革命に始まるアラブの春と、イスラム国の成立は、アラブ世界における一連の動きと思われる。  チュニジアの人口は1千万、オリーブと観光だけが、かつての外貨収入であったが、独立後に、ブルギバ大統領が国民の教育に熱心だったおかげで、1998年現在では、ヨーロッパ諸国の下請工場としても、急速に発展しつつある。工業化と…
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8-3)エジプト旅行の危険性(イスラム国の脅威)

 イスラム国は残忍な人殺し集団だといわれているが、その人殺しには、彼等なりの屁理屈がある。「神を信じない者」や、「イスラムの掟に従わないもの」は、人間ではない。現在シリアで殺したり、奴隷として売買しているのは、ゾロアスター教の流れであるヤジデイ教徒のクルド人であり、イスラムからの改宗圧力に、何百年も耐えてきた人々である。また、リビアで殺…
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8-2)イスラム国とヨルダン  

 イスラム国の嵐が荒れ狂っている。イラクのフセインの残党が組織した、国際的なテロ集団だと伝えられているが、その規模は、国家と呼べるほど大きい。支配地は、イラクとシリアに広がり、支配下の人口は、500万人を超え、石油からの資金も豊富で、外国人戦闘員の確保や、テロ要員や訓練も行われているという。彼等のプロパガンダは、イスラム世界の統一と復活…
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8-1)シリア内乱とイスラム国 

 写真は2001年のハマの水車公園にて、このあたりは内乱の激戦地のはず。この若者たちは、今はどうしているのだろうか。  現在のシリアでは、少なくとも、5つの独立勢力が存在する。第1はシーア派のアサド家の支配するシリア政府。ダマスカスを中心とする、シリア南部の政権である。これはロシアや中国が応援している。第2は、反政府派の集まりであ…
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7-8)サファビー朝の都(イスファファン)

 ヤズドから砂漠の道を北上、サファビー朝の都・イスファファンに向かう。アラブ、セルジューク・トルコ、モンゴル、チムールと征服王朝が千年近く続いたあと、やっと出来たイラン人による王朝だといわれるが、この王朝の始まりは、アゼルバイジャン地方のスーフィー教団である。トルコ系のアゼル人もアーリア系のペルシャ人も、確かにイラン国民なので、この説明…
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7ー7)砂漠の町の発明(ヤズド) 

 ヤズドは4000メートル級のシールクーフ山脈と3000メートル級のハラーネグ山地のあいだにある、1000メートル級の盆地にある砂漠の町。雨は殆ど降らない。寒暖の差が大きく、夏は40度から冬はマイナス20度にもなる。住みやすい場所ではない。しかし、西安からバグダードまでのシルクロードの要衝として、この町は発展してきた。シルクロードとは、…
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7―6)世界帝国の宮殿(ペルセポリス)

 シラーズから日帰りで、ペルセポリスに出かける。ヨルダンのペトラ遺跡(*4-4)、シリアのパルミラ遺跡(*3-1)と並んで、中東の3Pと呼ばれるペルセポリスは、今回の旅のハイライト。紀元前520年頃より建設が始まったとされるこの宮殿は、アケメネス朝の最盛期のダリウス1世とその息子クセルクセス1世によって建設されたもの。高校時代の世界史の…
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7―5)詩人と庭園の町(シラーズ)

 空路マシャドからテヘランに戻り1泊。翌日の飛行機で、南西部の高原都市、シラーズに向かう。人口は100万ほど、過去に何度も首都になった、イランの京都とでもいえる文化都市である。重いフルボディの赤ワイン・シラーズを造る葡萄の原産地でもある。葡萄は現在でも生産されているようだが、残念ながらワインの製造は、フランスに移ってしまった。  …
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7-4)イランのシーア派の聖地(マシャド)

 北西のイラン高原をバスで周遊した後、テヘランに戻りホメイニ廟を見た後、空路でマシャドに向かう。マシャドは、イラン高原北東にあるホラサン地方の中心都市で、イラン・シーア派の聖都である。空港を出ると、すぐ前に、ライトアップしたモスクが浮かび、宗教都市らしい雰囲気が感じられる(写真)。 翌日、町に出てみると、イマーム・レザー廟を中心に、町が…
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7―3)ゾロアスター教の聖地(タフテ・ソレイマン)

 アゼルバイジャン州のタブリーズから、イラクとの国境沿いを南下すると、クルド人地帯に入る。クルド人はイラン、イラク、トルコの三国国境地帯から、シリア北部まで分布するインド・ヨーロッパ語族、金髪緑眼の美人が多いとか。人口は3000万ほどで、国がない最大の民族と呼ばれる。イランに住むのは600万人くらいで、遊牧民が多いとか。  紀元前…
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7-2)酒と写真とカスピ海(アゼル人)

 昨晩は、カスピ海沿岸の村、パンダルアンザリに泊った。ホテルの窓から湖面が波打っているのがわかる。湖と言うより、やはり海である。しかしこの湖は、ソ連の灌漑工事のせいで、水が減ってしまい、消滅の危機にあると言う。人工で自然を改造しようとすると、思わぬしっぺ返しを喰う。  夜になって、酔っ払いの喚き声が聞こえた。近所にアルコールの非合…
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7-1)庭の下は前の家(マースレー村)

 2004年5月、15日間のイランの旅に出た。通常のイランツアーは1週間くらいの予定で、シラーズ、ヤズド、イスファファンといった南東部の砂漠周辺に限られるが、今回は前半に、北西部のカスピ海方面も覗いた。北西部と南東部は、全く違った自然環境。「イランは砂漠の中の暑い国」と言うイメージは、南東部には当てはまるが、北西部には当てはまらない。 …
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6-8)ワジの中 (サユーンとタリム)

 サユーンでは、イギリス領アデン時代に、この地帯一帯を治めていたスルタンの城を訪れる。博物館もあり、ダンスの舞台もある。地方のリッチな殿様の家といった感じ。  サユーンもタリムも広いワジの中の町である。ワジの岸である岩山と、その裾に建つ町は日本では見られない変わった風景である。タリムでは、東南アジア貿易で、財をなしたという商人の豪…
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6-7)砂漠の城塞都市(シバーム)

 オスマントルコの進出支配に拮抗して、イギリスもイエメンに進出した。アデン港が占領されたのが1839年。さらに、英保護領アデンが出来たのが1888年。このとき以来、1990年の南北合併まで一世紀、イエメンは二つの国に分かれることになる。  北イエメンとソコトラ島の旅を終えて、我々は、ソコトラ島から南イエメンのムッカラに飛んだ。此処…
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6-6)沿岸部の砂漠地帯(モカ)

 タイズから、山道を下ると、次第に貧しくなる。暑さも増す。高原のタイズから、海岸のモカへの道は、現在建設中。砂塵の舞う仮道路から眺める、工事中の本道路は、なかなか、しっかりとした基礎工事。この砂漠の中の道路建設も、やはり中国の技術援助だとか。歴代、中国は土木工事の先進国である。海岸沿いの完成開通した高速道路に入ると、らくだの群れが、道を…
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6-5)トルコの要塞とカート(タイズ)

 イエメンが再び世界の注目を浴びたのは、16世紀。地中海、スエズ、紅海からインド洋と続く道の、重要拠点としての、イエメンである。ペルシャ湾の入口であるホルムズ海峡を、ポルトガル海軍が制圧した事に対して、オスマントルコは、紅海の制海権を求めて、イエメンに進出した。その後も、オスマントルコによる干渉・支配は、第1次大戦で、オスマントルコが崩…
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6-4)ヒムルヤ王国(コフランとアムラン)

 シバの女王の王朝に続くヒムヤル王国は、西暦紀元前後に、インドや東南アジアと、ギリシャ、ローマを結ぶ中継貿易で栄えた国。フェニキア文字を使っていたと言う。灌漑も行われて、豊かな国であったらしい。しかし、ササン朝ペルシャの興隆によって、インドとの貿易ルートがペルシャ湾経由に変わり、イエメンの没落が始まった。また、キリスト教やイスラム教の興…
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6-3)シバの女王の町?サアナ

 北イエメンの中央部には、南北に山脈が走る。この一帯は、乾燥気候であるにも拘らず、この山脈のおかげで、山の中腹には、雨が降る。人間、水のない砂漠には住めないが、水さえあれば、険しい山の上でも住むことが出来る。首都のサアナは、標高2300メートルの高原都市。第二の都市タイズも、標高1300メートルの高原都市である。  サアナの旧市街…
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6-2)枯川の中の村(コーカバン)

 ドバイから早朝の飛行機で、イェメンの首都サーナに到着すると、ジャンビア(短剣)を腹帯にさした、ドライバー達が4WDで待っていた。早速、先ほど飛行機から眺めた、コーカバン地区にでかける。  氷河期と間氷期が、繰り返されていた、100万年ほど昔、現在の砂漠にも、雨が降って、川が流れた。その川が削り取った地形が、ワジと呼ばれる枯れ川で…
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6-1)アラブの辺境(イエメン共和国)

 イエメンはアラビア半島の南端、紅海とアデン湾に面した国で、スエズ運河の南の玄関口ともいえる。住民はアラブ人でアラビア語の方言を話す。イスラム教のスンニ派とシーア派が勢力伯仲で、宗教がらみや、部族がらみの争いから、内乱が絶えない。その対岸のアフリカ大陸には、現代の海賊の根拠地として知られた、ソマリアがある。紅海とアデン湾は、スエズ運河を…
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5-12)階段ピラミッド(サッカラ)

 2月13日(金)は、エジプト旅行最後の日は、サッカラの階段ピラミッド、ダハシュールの赤のピラミッド、メンフィスのプタハ神殿跡に残るラムゼス2世像を訪問。ナツメヤシの茂る、カイロ郊外の田園風景はなかなかすばらしい。昼食は、サッカラのレストランでエジプト名物の鳩料理。1羽丸ごとの焼き鳥を、手つかみで噛り付く。特に美味ということはないが、精…
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5-11)クレオパトラの都(アレキサンドリア)

 クレオパトラといえば、エジプトの女王だが、アレキサンダー大王の部下、ギリシャ人のプトレマイオスが作った王朝の子孫である。都が内陸のカイロやルクソールではなく、地中海に面したアレキサンドリアであるのも不思議ではない。  アレキサンドリアへは、2月12日(木)に、カイロから日帰りで出かけた。ナイル・デルタの扇の要であるカイロから3時…
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5ー10)ギザのピラミッド(カイロ)

 ルクソールは第11王朝以降の都。それ以前の王朝の都は、カイロの近郊、メンフィスやヘラクレオポリスである。ギザ、サッカラ、ダハシュールといった、ピラミッドの所在地もカイロの近郊である。  2月11日(水)、ギザの三大ピラミッドを観光。観光写真でおなじみの光景だが、それらの観光写真は、砂漠を背にして撮ったものばかり。その反対側の町を…
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5-9)移設前のアブシンベル(D・ロバートの絵)

 アレキサンドリアのグレコ・ローマン博物館の売店で、デヴィッド・ロバート(David Roberts)のリトグラフの印刷コピイを見つけて購入。33×48センチの大判は、オリジナルのリトグラフと同じ大きさ。印刷もイタリア製で、なかなか高品質である。10枚で30ドルは、エジプトの物価から考えれば、やや高いが、日本でなら3倍はする。  …
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5―8)アブシンベル神殿(アスワン)

 バスを飛ばして、アスワン空港から、9時5分発のアブシンベル行きの飛行機に乗る。荷物はもちろん、搭乗手続きも、あらかじめ助手の熊さんが済ませてくれているので、我々は、身体検査を受けて飛行機に乗り込むだけ。身体検査は2度もあり結構厳重。おかげで飛行機はやや遅れて出発。何時もの事らしい。アブシンベル空港に着くと、エジプト航空のバスが待ってい…
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