テーマ:シルクロード

隴(ロウ)を得て、蜀(ショク)を望む

 デイケアのレクレーションの時間に、諺(コトワザ)のクイズがあった。その中の一つがこの諺。後漢の光武帝が建国の折、「隴を征服、サア次は蜀だ」といった故事を踏まえて、三国志で有名な魏の曹操が、『人の欲望にはきりがない。いま(シルクロード交易の中心である)隴を得たのだから、(孔明が頑張っている)隣の蜀まで手をだそうとは思わない』と言った事か…
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まえがき(僕のシルクロード)

ID:jcrj2n  シルクロードは、人によって定義が違う。ある人は、長安から西域の砂漠の道を思い浮かべ、ある人は長安からローマに続く道だと言う。僕にとっては、正倉院のある飛鳥から、唐の都長安を経て、西域に出て、そこからペルシャやインドに続く砂漠の道である。幾多の詩に現れるその道は、仏教伝来の道でもあり、シルクロードと言う言葉…
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9-5)西域北道(クチャ=キジ)

 西遊記には女人国の話がある。住んでいるのは女ばかり。川の水を飲むと妊娠する。それを知らずに飲んだ孫悟空一行は全員妊娠。は茶めちゃな騒ぎが展開する。それがこの川だという話を、このクチャで聞いた。どうやら、この女人国のモデルはこのクチャ(=庫車)らしい。昔の名前は西域北道の要衝・亀滋国。三蔵法師が、この国の女王に惚れられ、貞操の危機。帰り…
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9-4)砂漠公路(タクラマカン砂漠)

 4月3日。ケリア(干田)からニヤ(民豊)まで、西域南道を東に走り、此処で進路を北に変えて、砂漠公路を進む。この砂漠公路とは、石油採掘のために建設された道路で、外国人観光客のために解放されたのは10年ほど前。タクラマカン砂漠のど真ん中を縦断して、西域南道のニヤと、西域北道のクチャ(亀滋)を繋ぐ。この道路の走破が、今回の旅の主目的である。…
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9ー3)西域南道(ホータン)

  4月1日、カシュガルからホータン(=和田=于闐=ウテン)まで、タクラマカン砂漠の中を走る。。「ゴビタン」と呼ばれる土漠の中には、それこそ何もない。この漠と言う字は、水が莫いの意味。石ころは結構多い。途中、青空トイレ休憩と、ヤルカンド(=莎車)での昼食以外は、ほぼバスの中。一日550キロの強行軍は、さすがにグロッキー。こ…
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9-2)パミールへの道(カラクリ湖)

 カシュガルから、カラクリ湖や、タシュクルガンを経由、クンジュラブ峠を越え、パキスタンに入り、フンザ王国から、カシミールに入り、さらにインダス川に沿って、ガンダーラに抜ける道は、現在では、カラコルム・ハイウェイとして知られている。インドと中国が仲の悪かった頃、インドに対して圧力を加えるために、パミールを越えてパキスタンにいたる道路を、経…
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9-1)ウイグルの町(カシュガル)

 2008年3月29日は成田から北京に飛び、国内線に乗りついて、ウルムチまで。30日に、ウルムチからカシュガルまで飛んで、やっと目的地に着いた。遠い。カシュガルは天山山脈の南、タリム盆地(=タクラマカン砂漠)の西北端にあるオアシス都市。長安を出たシルクロードは、河西回廊を通り、酒泉あたりで、天山北路と天山南路に分かれる。天山南路はさらに…
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8―5)国境の町(イーニン)

 7月1日。カラマイからセリム湖まで400キロ、荒野を走る。セリム湖は、期待に反して、平凡なところ。でも、行ってみないとわからない。湖畔の草原にはパオが散在し、名も知らぬ花が咲いていた。このあたりの年間降雨量は決して多くないが、降る時には土砂降りになるらしい。そんな時には、鉄道の土手が、邪魔して、砂漠が湖になることがあるとか、そうならな…
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8―4)油田開発と魔鬼城 (カラマイ)

 6月30日。カナス湖畔から、ジュンガル盆地の西端を南下、油田開発で出来た町・カラマイに向かう。砂漠の中の道の両脇には、無数の小型採掘ポンプが並ぶ。ここで採れる原油は、硫黄分は少ないが、かなりの重質油である。常温では流れにくいので、蒸気を吹き込んで、温めながら汲み上げる。  砂漠の中を、タンク車を長く連結した、ジーゼル機関車が走って行…
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8―3)モンゴルの笛(カナス湖畔)

 6月28日、アルタイ市を後に、半砂漠の道を、カザフ族のテントを訪ねたりしながら、カナス湖に向かう。カナス湖自然保護区の入口は、山の一本道の入り口。ゲートが設けられ、一般の自動車は一切入れない。観光客は、ゲートで入場料を払って、観光専用の乗合バスに乗換える。九塞溝方式である。ゲート付近は現在ホテルの建築ラッシュ。来年からは保護区内の宿泊…
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8-2)五彩灘と屯田兵(ジュンガル盆地)

 ジムサルから五彩灘への道は、予想外の悪路で、到着した時には6時を過ぎていた。でも、緯度が高いことと、北京時間を使っていることもあって、日はまだ高い。強い風のために出来たヤルダン地形は、今回の観光の目玉の一つ。ヤルダンとはチュルク系の言葉で、風、雨などによって地面の柔らかい部分が侵食されて、堅い岩の部分が小山または堆積物のように数多く残…
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8―1)北庭古城(天山北路の北道)

 2006年6月、シルクロード・天山北路の町・ウルムチから、アルタイ山脈に囲まれたジュンガル盆地の東側を北上、ソ連と国境を接するカナス湖まで行き、折り返して、ジュンガル盆地の西側を南下、天山北路の町・イーニンまで行き、飛行機でウルムチに戻った。相当な悪路と辺境地帯を予想していたのだが、これが全くの期待はずれ。石油開発のために、道路はよく…
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7―4)シルクロード観光の拠点(ウルムチ)

 ウルムチには、1999年8月、2006年6月、2008年4月と3回訪れた。第1回目は西安から敦煌、トルファンを経由して、ウルムチまでの旅、第二回目はウルムチからカナス湖を経由してイーニンに至るジュンガル盆地周遊の天山北路の旅、第3回目はウルムチからカシュガルに飛び、タクマラカン砂漠の南周を走り、ニヤから砂漠公路でタクラマカン砂漠の中央…
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7―3)葡萄とカレーズ(トルファン=火州)

 西遊記で、火炎山といえば、三蔵法師一行の行く手に立ちはだかる火の山。その火を消そうと、孫悟空が羅刹女に芭蕉扇を借りに行く。そこでお決まりの大乱闘。トルファン盆地の北にある現実の火炎山は、砂漠の中の赤い岩山。夏は摂氏50度を越すという赤い山肌が、燃えている様に見えても不思議ではない。何もない砂漠の中に、火炎山と言う石碑と、三蔵法師一行の…
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7―2)高昌国跡 (トルファン盆地)

 この写真、何の変哲もない砂漠の写真なのに、地平線の近くに、湖があるように見える。僕は始め自分の眼を疑った。しかし、この湖は、ツアー仲間にも良く見えたようで、カメラにも映っていた。ガイド嬢によると、このあたりに良く見られる蜃気楼との事。この蜃気楼は日が高く上がると消えて行った。ここは敦煌とトルファンの間の砂漠、苦労して玉門関を突破した三…
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7-1)敦煌(沙州)

.  1998年の敦煌は、まだ鉄道が開通していなかった。トルファンから、夜行列車で柳園に行き、そこからバスで砂漠の中の道を走った。空が茜色に染まる頃、敦煌に到着。琵琶の背弾きをしながら踊る西域の伎女(=舞姫)のシルエットが我々を迎えてくれた。ペルシャの舞姫たちによって、広められたというこの曲芸的な弾き方・反弾琵琶は、唐代にかな…
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6-5)カラコルムと植樹

 観光5日目はモンゴル帝国の旧都・カラコルムを訪ねる。ブルドのキャンプから、再びトランポリン・ロードを走る。バスからの風景は、相変わらずの草原。旧都といっても何もない。遠くに、城壁らしきものを発見。これが今日の目的のお寺・エルデニ・ゾー。城壁の中には、インド式、中国式、チベット式、それに、モンゴル式の寺院が散在する。  此処の展示…
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6-4)ナーダムとゲル

 観光3日目は、ウランバートルから350キロほど離れたブルドまでの移動。この区間は、まともな道路の予定であったが、その殆どが工事中。こんな時は、道路の脇の草原を自由にサファリである。何かに掴っていないと、バスの天井に頭をぶっつける。トランポリン・ロードと名づけることにした。途中何度かトイレ休憩を取ったが、もちろん男も女も青空トイレ。突風…
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6-3)文殊菩薩廟と騎馬隊ショー

 モンゴルの面積は日本の約4倍。これに対して、人口はたったの250万。その半分はウランバートルに住んでいるという。しかし馬と牛はそれぞれ200万頭、ヤギと羊は合計で3千万頭くらい。だから、一歩ウランバートルを踏み出せば、草を食む家畜たちの天下である。人は殆ど見かけない。そんな草原を走ること約2時間。マンズシール(文殊菩薩廟)国立公園は、…
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6-2)女体佛

 戦勝記念碑から、宮殿博物館に向かう。モンゴル最後の皇帝・ボグド・ハンの冬の宮殿跡。宮殿といっても、祭政一致の政府なので、建物は寺院風。今は荒れ果ててみる影もない。ボグド・ハンはチベットから来た生き仏。ジンギスカンの末裔と結婚したが、女王は敢えて子供を作らなかったという。  この博物館で、数体のボインちゃんの仏像を見た。博物館では…
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6-1)キリル文字とノモンハン事件

 2007年7月7日から14日まで、モンゴル人民共和国を訪れた。成田で、モンゴル航空に乗って、まず驚いたのが、機内で配られる新聞。みなロシア文字(キリル文字)で書いてある。いつの間に、モンゴルはロシア語になったのだろう。でも、良く見ると、それはロシア語ではなく、モンゴル語らしい。現地に到着して、早速、現地ガイドに確かめると、1941年に…
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5-9)チベット文化博物院(西寧)

 西寧のレストランで、昼食後、最近出来たというチベット文化博物院に行く。ここの売り物は、北京オリンピックに間に合うように作ったという、織物で作ったチベットの歴史絵巻、チベットの画家400人を総動員しての作品だという。長さ618メートル、ギネスブックに登録されたとか。チベットが海の底であった話に始まり、観音様と猿と羅刹女の話、歴代の吐蕃王…
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5-8)黄土高原の家(循化)

8月16日朝、熱貢賓館を出発、パンチェンラマの生家のある循化を経由して、西寧に向かう。 このあたりは、黄河上流の黄土高原。黄河に削り取られた山肌が、荒々しい姿を見せる。木は生えないのだろうか。それとも切り尽くしたのだろうか。パンチェンラマの生家は、そんな風景の一角にあった。中国政府の肝いりで建て直された家は、豪華なもの。あたかも寺院の…
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5-7)二つの村祭(ネンドボ村とソホル村)

 今回の旅のメインであるレゴン祭は、ここの山の神様の祭り。仏教の僧侶達は、一切参加しない。日本なら、さしずめ、村の鎮守の神様のお祭りである。祭りは、似た様な形式で行われるが、村ごとに山の神様が違うので、細部が異なっている。今回は、ネンドホ村と、ソホル村の二つの祭りを見た。  ネンドホ村に到着すると、山の神様を迎えに行っていた、青…
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5-6))観音様は女?男?(同仁県)

 8月14日、朝、隆務(ロンウォ)寺にゆく。青海省の6大チベット寺院ひとつで、500人の僧侶がいるという。写真は、その門前に鎮座まします、大きな観音様。高原の澄んだ青空の下で、光り輝くその美しさに、思わず息を呑んだ。この観音様、どうみても女性である。  観音様が、美女に変身して、インドのシバ神の長男のガネーシャ(=象の顔をした神)…
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5-5)草原と峠越え(青海省へ)

 8月13日朝、僧侶の案内で、ラプラン寺の内部を拝観したあと、甘粛省の夏河県から、青海省の同仁県に向かう。この省境越えには、3500メートル級の峠を二つ越える。峠と峠の間にはチベット風の草原が広がる。高地の草原は、スイスでもアンデスでも何処でも同じのはずだが、僕には、何かが違うように思われる。近くに雪山がないせいかもしれない。微妙な草花…
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5-4)ラプラン寺(夏河県)

 8月12日午後。合作から夏河に向かう。夏河に着いて、小高い丘から、ラプラン寺を眺望。緑の斜面には黄色や紫の高山植物が咲き乱れ、ピックニック気分でくつろぐ。谷川では、羊の毛を洗う人々に出会った。のんびりとした気分で、山に向かって「草原情歌」を披露。仲間からは、40代の声ですねと、お世辞を頂いた。声量や肺活量はまだ大丈夫らしい。合作も夏河…
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5-3)草原のチベット寺院(合作市)

 8月12日(水)標高2900メートルの草原に、ぽっかりと浮かぶ、写真のような8階建ての塔。なぜこんな所に、こんな建物が突然出現したのか、眼を疑った。合作市郊外のミラレパ・ラカンは、そんなチベット寺院である。このラカンは各階が次のように分けられていた。 どうやら、このビルはラカン(=お堂)の集合体らしい。   1階 弥勒菩薩堂  …
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5-2)中国のイスラム教徒・回族(臨化市)

 白塔山に登ったあと、バスは南の臨夏に向けて出発。黄土高原の丘陵と、棚田風の畑が広がる。ジャガイモや、百合根が栽培されているという。途中、高速道路を下りたあたりから、回族の居住地区に入る。回族はイスラム教徒で、白い帽子を被っているので、すぐに判るが、帽子を脱いだら、外見は漢族と見分けがつかない。商売に巧みな人種で、中国全土に分布している…
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5-1)異民族との接点(蘭州市)

 2009年8月10日(月)朝、成田に出掛ける時は、大雨。成田エクスプレスの特急券を買ってあったが、東京駅に着いたら、運休とのこと、急いで上野に出て、京成ライナーで成田に向う。窓に降り注ぐ滝のような雨をみながら、飛行機が飛ぶかどうか心配だったが、北京で乗り継いで、その日のうちに、無事蘭州に到着。蘭州空港に降り立つと、涼しい。捲り上げてい…
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