テーマ:ヒマラヤ・チベット

3-13)中国側のカラコルム・ハイウエイ

   フンザ王国からカラコルム・ハイウエイを北上、4733メートルのクンジュラブ峠を越えると中国。ここから、カラクリ湖を経由、カシュガルに入るルートは、旅行会社でも宣伝しているが、僕がフンザに出かけた4月には、クンジュラブ峠越えはまだ季節が早かった。事実僕が2008年4月にカシュガルからカラクリ湖を訪れた時には、まだ湖面は凍結、その上…
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3―12)タキシラと帰り道

 4月18日。パキスタン最後の日。ペシャーム発6時。一路タキシラへ向かう。タキシラは、ガンダーラの仏教遺跡の一部として、ユネスコの世界遺産にも登録されているので期待していたのだが、全くの期待外れ。ダルマラージカ、ジャンディアール、シルカップの3遺跡と、タキシラ博物館を見学したものの、めぼしい美術品は何も残っていない。大英博物館を始…
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3-11) ラカプシの展望

 4月17日。パキスタン第五日目。4時半起床、出発は6時。道路の回復状況に不安があったので、昨日は、皆で集まって、飛行機で帰る事も検討した。一人2万円程度の費用で、ギルギットからイスラマバードまで、飛行機をチャーターできる可能性があるという。3分の2強が飛行機賛成組。飛行機で帰れば、一日遅れのスケジュールが取り戻せるので、諦めていたソル…
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3―10)王様と茶会

 夕方、杏の花が咲き誇る庭園を少し散策してから、王様との茶会、お手製の赤ワインで歓迎される。シャーさんの友達だと言うこの王様は、大のアルコール好きとか。パキスタン政府が、イスラム法に基づいて、禁酒を強いる中で、フンザだけは例外になっているという。1974年にフンザがパキスタン領になった時の条件の一つらしい。この王様は三代限りで…
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3―9)フンザ王国(カリーマバード)

 午後、バルチット城を見学、1971年まで、王様がここに住んでいたというのだから、日本的には「お城」だが、規模からすると、英語の説明の様に、FORT、すなわちバルチット砦と言った方が良い。ミール(領主)と呼ばれるここの王様は、日本で言えば、山間の小さな大名程度だが、十九世紀末までは、パミールを越えて、新彊方面に掠奪隊を繰り出してい…
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3-8) ナガール村のホッパー氷河

 朝食の後、再びジープに分乗して、ナガール村にあるホッパー氷河に出かける。フンザとナガールは、フンザ川を挟んで対立する二つの王国で、人種も言葉も違うのだという。カラコルム・ハイウエイができる前は、フンザ川の深い峡谷が、対岸との交通をはばみ、それぞれが別個に発展して来た結果なのだろう。このあたりの観光業を独占しているフンザ人に言わせる…
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3―7)レディ・フィンガー

 夕暮れ近く、無事フンザ・ダルバール・ホテルに到着。早速ホテルの屋上に上がって、山の夕日を眺める事にする。苦労して到着した、フンザの景色は又格別。ヒマラヤ、カラコルム、ヒンズークシの3つの大山脈に囲まれた、高度2千5百メートルの杏の里は夕陽に染まり、雪を頂いた7千メートル級の山々が、四方から迫ってくる。山の斜面は杏の花とポ…
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3-6) フンザ峡谷

 フンザ峡谷に入ると、カラコルム・ハイウエイは、再び険しい山岳地帯に入る。インダス川の上流であるフンザ川が、深く抉られた峡谷の遥か下の方を流れている。昨日、4人の兵士が亡くなったという崖崩れの場所で休憩。何事も無かったかの様に、山羊の群が絶壁にしがみつくように生えた僅かな草を、のんびりと食べていた。(写真左)  対岸の赤茶けた山肌…
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3-5)ギルギットでポロ見物

 4月15日。パキスタン第三日目。5時半起床、好天に恵まれて、7時出発。チラスの手前、20-30キロの地点から、インダス川の深い峡谷は、急に広がり、岩砂漠の様相を呈する。でも、この岩砂漠は、どうやら大昔の氷河の跡らしい。インダス川の川原にしては、広すぎるし、岩に丸みが無い。カラコルム・ハイウエイは、チラスからギルギットまで、そんな岩…
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3-4)トラックに乗る。

 何も無いと思っていた、第1の崖崩れ地点の向こう側に、酒屋さんが配達に使うような、軽トラックが一台あった。第二崖崩れ地点から、人海戦術で車を持ち上げながら、何とか無理をして搬入したらしい。第二崖崩れ地点には、それらしき轍の跡が鮮明に残っていた。この車で、第一と第二の崖崩れ地点をピストン輸送をしているのだが、荷台に立てる人数は、どう見…
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3-3) 崖崩れの道

 4月14日。昨日の遅れを取り戻す為、4時半のモーニングコールで、6時出発。一気にフンザを目指す事になった。天気は晴。インダス川ぞいの道は、山側は険しい崖で、岩しか見えない事が多いが、谷側の景色は結構変化に富んでいる。空も見えないほど、対岸の山が覆いかぶさってくる事もあれば、そんな山から、何条もの滝が見られる事もある。少しなだらかな斜面…
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3-2)カラコルム・ハイウエイ

 1999年4月13日。パキスタン第一日目。成田からの飛行機が3時間ほど遅れたので、昨夜のホテル到着は、深夜の12時を過ぎていた。しかし、「これからの旅では、お風呂に入れない」ので、ゆっくりと入浴。おかげで就寝は2時半。今朝の起床は5時半だから、3時間しか寝ていない。初日から強行軍である。今日の予定は、イスラマバードからチラスまで約50…
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3-1) カシミール

 良質な羊毛・カシミヤの産地として知られるカシミ-ルは、現在、東南のインド領と西北のパキスタン領に分割されていて、(上図)その国境紛争はまだ解決していない。1947年に勃発したカシミール戦争は、2016年現在、実質上まだ続いていて、国境では、南北朝鮮と同様、にらみ合いや小競り合いが続いている。でも、スリナガルとイスラマバードの間の国…
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2-7) 薬王山と巡礼の道

 薬王山東側の岩壁に、へばりつくように建っている、小さな寺・薬王院を訪ねる。病院も兼ねている寺だそうで、奥の洞窟には、薬師如来が奉ってある。チベット医学の総本山的存在の由。  『チチンプイプイのプイ。痛いのイタイの飛んでゆけ。』と、母親から呪文をかけられて、なんとなく治った経験はないだろうか。チベット医学も、薬草学の知識と…
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2-6)デブン寺とセラ寺

 ラサ郊外にある、デブン寺とセラ寺は、ともにチベットの仏教大学であり、何も無い岩山の斜面に建っている。かつては、それぞれの寺に、1万人近い僧侶が住んでいたというが、現在は人影もまばらである。中国共産主義支配の成果だという。  それでも、セラ寺の中庭では、100人ほどの学僧達が、問答をしているのに出会う事が出来た。木蔭で座っている僧…
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2-5)モンゴル帝国とチベット仏教

 日本における蒙古襲来は、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)で、台風の助けもあって、元軍を追い返す事が出来たが、北条政権の崩壊の遠因となった。これと反対に、チベットでは、1240年代の蒙古軍侵入によって、長い分裂時代に終止符が打たれ、チベット仏教による統一と支配体制が確立された。その立役者になったのが、サキヤ派の管…
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2-4) チベットの古代王国・吐蕃

 ヒマラヤ山脈の北斜面には、カイラス山(カイラーサ山・崗仁波斉山)を挟んで、東にヤルツアンポ河(雅魯蔵布河)、西にインダス川が流れる。この流域の谷間は、空気は薄いが、雪解け水が豊富で、有史以前からチベット系の人々が住み着いていた。吐蕃国発祥の地は、そのヤルツアンポ河流域の、ツアン(蔵)及びウー(衛)と呼ばれる地帯。現在の西蔵自治区…
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2-3) 大昭寺と八角街

 唐を脅かせた吐蕃王ソンチェン・ガンポは、唐とネパールから、それぞれの国の王女を后に娶った。大昭寺は、そのネパールから嫁いだ王妃ティツンによって建てられたという。ポタラ宮の建設より1000年程前である。チベットの仏教の歴史は彼女から始まるとも言われ、この寺こそ、ジョカ…
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2-2) ポタラ宮 とノルブリンカ

 チベットといえば、誰しもポタラ宮を思い浮かべる。抜けるように青い空の下、岩山の上に聳え立つ、十三層の白い城。そこは、ミノスの神殿のような迷宮であり、中ではおどろおどろしい宗教儀式がとり行われている。それは、子供の頃から抱き続けた、チベットのイメージの全てでもあった。  実際に眺めたポタラ宮は、ポタラ宮広場の前に建つ遺跡であっ…
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2-1)ラサへの道

 僕が海外旅行を始めたのは、1998年7月から。早期定年退職してから丸2年が経っていた。これからゆっくりと中国を歩き回りたいということで、まず最初に、成都の四川大学で1ヶ月の中国語学習プログラムに参加。その機会を利用して、成都から4泊5日のチベット旅行に出かけた。これは、その時の日記からの抜粋と、今回、補筆したチベットの歴史である…
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1-3)チベット伝説と文化博物館

  標高2250メートルの青海省の首都・西寧(シーニン)から、標高3650メートルのラサまで、総距離1956キロに及ぶ青蔵鉄道(=青海・チベット鉄道)は、2006年7月に全線開通。それに伴って、西寧には、チベット文化博物館もオープンした。この博物館は、チベットの玄関口・西寧にふさわしく、チベットムードの漂う設計。正面玄関のドームには…
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1-2)チベット族と日本人

   この地図は、中国総参謀部測絵局編集になる中国地図帳からの抜粋。ピンクのバックとピンクの斜線がチベット族の住んでいる地域。緑のバックと緑の斜線がウイグル族、うす緑のバックと縦線が蒙古族、黄色のバックが漢族である。この地図と1)の航空写真を比べると、チベット族は2000メートル以上の高い山岳地帯、ウイグル族はその北の砂漠・オアシス地…
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1-1) 僕のヒマラヤ・チベット

第1章 はじめに(老春の旅)  1996年4月に59歳で、早期定年退職した僕は、2011年6月に脳出血で倒れるまで、海外を歩き回った。今は、右半身不随なので、ゆっくり旅の思い出に浸る事にした。 1-1)僕のヒマラヤ・チベット   僕の中では、ヒマラヤ・チベットは、政治区分ではない。印度プレートがアジア・プレートに衝突し…
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僕の世界地図(5)ヒマラヤ・チベット

 僕の世界地図では、ヒマラヤ・チベットは、政治区分ではない。印度プレートがユーラシア・プレートに衝突して出来上がった山脈や、陸地を指す。さらに言えば、2億5千万年前の地図の古テチス海が、印度プレートの圧力によって、隆起して出来た陸地も含む。古テチス海が陸地に変わり始めたのは、約7000万年前、そして、その古テチス海の乗っていたユーラ…
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僕の世界地図(4)巨鳥の時代と印度衝突

   恐竜が滅んだKT境界は、ほぼ6500万年前、それ以降、現代までを新生代と呼ぶ。でもすぐに、哺乳類の時代が始まったわけではない。哺乳類が頭角を現すのは、新生代の中期以降。それまでの2-3千万年は、恐竜の末裔である、肉食のディアトリマ(図)のような巨鳥が、動物の頂点に立っていた。上の地図は新生代初期のもの。  巨鳥達が滅ん…
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XR1-8) 黄龍の白い敦盛草

下の敦盛草の写真は、2004年7月、中国四川省の黄竜を訪ねたときに見つけたもの。赤紫色の敦盛草に混じって、一株だけ白花が咲いていた。敦盛草は蘭の仲間で、北海道や岩手県の寒冷な山岳地帯にも自生するが、日本では絶滅危惧種に指定されている。特に白花の敦盛草は、突然変異だけに、日本では超希少種とされているらしい。  同種の白花の野性蘭では、…
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XR1‐6) 巴郎峠のメコノプシス

2004年7月、四姑娘山麓の日隆(標高3100メートル)から、標高4532メートルの巴朗峠を越して、パンダの里・臥竜に向かう。この峠の前後はメコノプシスの群生地。黄色、紫、赤のメコノプシスは沢山あるが、幻の花ブルー・ポピーはなかなか見つからない。急斜面に、やっと一株見つけて写真撮影。因みに、ブルー・ポピーとは、日本の旅行業者が、…
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XR1-5)四姑娘山麓の高山植物

 2004年7月、四姑娘山麓の鍋荘坪をハイキング。ホテルの裏山を、三々五々に、花を愛でながらの山登り。登山道の脇の斜面は、高山植物の展覧会。エーデルワイス(写真右)や、色とりどりの花を、一つ一つ観賞していたら、何時になっても、山に登れない此処も3200メートル。ゆっくり歩いているつもりだが、ちょっと息が弾む。花に興味のない人は、さっ…
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XR1-4)紫色のメコノプシス

   2004年7月、高度2500メートルの、甘孜蔵族自治州の州都・康定から、高度4200メートルの折多山峠を越えて、高度3400メートルの新都橋に向かう。折多山峠は、風が強く寒いので、ジャンパーを着る。峠の急斜面には、色とりどりの「小さな」高山植物が咲き競うが、写真にしてみると、意外と地味。枯れ草の中に隠れてしまう。 …
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XR1-3)青い花の草原(塔公高原のシノグロッサム)

 7月3日、新都橋から川蔵北路に入り、丹巴に向かう。山かげの、青い花の一面に咲く草原で写真ストップ。ガイド嬢によると、シノグロッサムという花だという。シノとかチーノ言う接頭辞は、チャイナのこと、日本名は支那忘れな草と言うらしい。チベット原産の野生勿忘草で、発がん性のアルカロイドを含んでいるので、山羊も食べない厄介者の雑草らしい。でも…
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