テーマ:思い出

ドンド焼き(さぎちょう)

 今日1月15日は「ドンド焼き=左義長」の日。今日でお正月の「松の内」がおわり、明日からは、農作業をはじめる日。正月の松飾りや書初めを外し、村の鎮守の神様の境内に村中が集まり、皆で焼く。村の竹薮から切り出した青竹でやぐらを組み、ヒバの葉を積み上げる。火が放たれると、炎が鎮守の森の上にまであがる。ヒバの香と青竹の爆ぜる音を聞きながら、大人…
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様変わりの正月料理

 終戦直後の僕の子供の頃に比べると、平成最後の年の我が家の正月料理はずいぶん変わった。日本が豊かになったことや、食文化の洋風化は何処の家庭でも同じだと思うが、我が家では、田舎育ちの僕と、都会育ちの子供や孫達との味覚の差、そして僕が年老いたことなどが加わる。日本古来の料理が減って、西洋風の料理が増えた。それに伴って、日本酒からワインやスコ…
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餅の思い出

 正月といえば第一に餅。でも、今年僕が食べたのは、1日と2日の雑煮に入れた、たったの2切れ。しかも1切れが昔の半分くらいの大きさ。昔は1度に4-5切れも食べられたのに、年老いたのだろうか。でも育ち盛りの孫達も1-2切れしか食べない。おせち料理が多すぎるためらしい。  雑煮は地方ごとに、いや家庭ごとに違う。関東の切り餅、関西の丸…
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M41)睡足軒の森(平林寺前)

 11月28日。デイサービス・まごころクラブの恒例の外出で、新座市にある睡足軒に連れて行ってもらった。ここを訪れるのは、2010年12月以来8年ぶり。脳出血で倒れた2011年6月以前は、ママチャリでこのあたりも良く散歩していたので、懐かしい。平林寺に連接する3000坪ほどの森の中にあるこの睡足軒は、電力の鬼と呼ばれた松永安左衛門氏の…
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故郷の方言

10月17日の日経新聞の岐阜経済特集「東海環状道に熱い期待」として、関から大垣を経て四日市に至る高速道路延長計画と、その沿線の開発計画の記事があった。その次のページには、岐阜の方言が、「東西の交点の言葉」として紹介されていた。でも、それは、僕の使っていた岐阜方言とはちょっと違う。僕の田舎は、木曽川を挟んで、尾張の国に接しているので、多…
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故郷とお墓

 国分寺の大仙寺の墓地の案内電話がかかってきた。大仙寺は、歌川国芳の墓もある由緒ある寺で、この寺の和尚は、僕の日本舞踊の師匠の後援会の会長でもあるので、まんざら縁が無いわけではない。でも、僕には故郷の各務原市に先祖伝来の墓があるので、いまさら買う気はない。墓参りに不便だからといって、墓を移せば、故郷がなくなってしまう。確かに、故郷には誰…
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香港からのお客さん

 昨晩は賑やかな夕食になった。香港からラムちゃんが来るというので、長女と次女、それに孫娘と孫息子が集まってきた。それに圧迫骨折で久しく来なかったパートナーも顔をそろえた。  ラムちゃんと言うのは、僕と亡妻が30年近く前に知り合った、香港のバスガイド。飲茶に誘ったのが始まりで、それ以来我が家に泊まった事もあって、子供たちとも仲良…
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富岳百景

 今年は年初めから、体が固まって痛みが出たので、何もやる気が出ず、ただぼんやりと時を過ごした。要介護の身なので仕方がないことかもしれないが、さみしい。でも、庭の梅がちらほらと咲き始めたので、少しは元気が出て、本棚を覗いてみる気になった。目に付いたのが、北斎の富岳百景、昭和61年に岩崎美術社から出版された本で、鈴木重三氏の解説がある。なか…
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節分の豆と湯豆腐

 デイサービス・まごころクラブでは、節分に因んで、炒り豆の小袋を配ってくれた。京都南禅寺の門前にある茶屋料理店「順正」が、クラブツーリズムに贈ってきた物の「おすそ分け」らしい。ウィスキーのつまみに頂いたが、ほんのりとした甘味があり、なかなか美味しい。包装紙の説明によると、豆は北海道産の「トヨマサリ」、湯豆腐製造用の品種の由。いり豆加工は…
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M33)遠藤彰子の展覧会

 昨日はデイ・サービス・まごころクラブから、多摩美術大学の12号館地下1階で行われている遠藤彰子氏の作品展 「COSMIC SOUL(宇宙の魂)」 を見に連れて行ってもらった。この作品展は期待以上の素晴らしいもの。500号から1000号といった桁外れに大きな作品が、20以上も並び、見るものを圧倒する。その大作の一つ一つに、彼女の宇宙のイ…
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根尾谷の紫陽花

 今年も、玄関脇の紫陽花(あじさい)が咲いた。このピンクの紫陽花が咲くと、いつも故郷の友達を思い出す。  2003年の夏に、田舎の小学校のクラスメイト、昌子ちゃんと孝子ちゃんの案内で、根尾谷に行った。昔も今ものどかな山村だが、1891年に突然マグニチュウド8.0という濃尾大地震が発生、その震源地付近の根尾谷に断層が走った。この…
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マザコン(高畠華宵の絵)

 高畠華宵と言っても、知らない人が多いかもしれない。手元にある日本の童画6『高畠華宵、蕗谷虹児、中原淳一』(第一法規出版1981)と別冊太陽『高畠華宵』(平凡社、1987)によると、華宵のデビューは中将湯のポスター。僕の子供の頃には、田舎でも良く見かけた看板広告なので、昭和初期を知る人には懐かしいかもしれない。でも、僕が懐かしく感ず…
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カタツムリ

 昨日は良い天気。デイケア・プラチナビラでは、みんなで中庭に出て、大声を張り上げて童謡を歌った。やわらかな風が心地よい。  童謡「でんでんむし」を歌って気がついた。庭にあんなに沢山いた、でんでんむし(カタツムリ)やアマガエルを今年はまだ見ていない。いつも梅雨が始まると、何処からともなく出てきた小動物の風物詩。椿の毛虫だけが、しつっ…
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50年前のゴールデン・ウィーク

 子供達が傘寿の祝いを計画してくれるとのことなので、昔のアルバムを取り出してみた。アルバムは昭和42(1967)年5月4-6日とあるから、今から丁度50年前。前の年のクリスマスダンスパーテーで知り合い、3度目のデートでプロポーズ、まだ早いと反対する彼女の父親を、既成事実で説得。晴れて婚約し、ゴールデンウィークには、僕のふるさとへの婚…
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FLAIL(くるり棒)

 先に紹介した日本老年医学会のフレイル(Frail)は老化による心身の虚弱化だが、RがLに変わると「くるり棒」になる。辞書を調べていて発見。この「くるり棒」は今では知る人も少なくなってしまったが、僕には懐かしい。写真1は「くるり棒」を使っている風景だが、先日書いた「ふるさと村」にまた戻って来たようだ。  僕の子供の頃は、稲…
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U-2) 地獄・極楽めぐり(河鍋暁斎)

 正月は、過去に出かけた展覧会の図録を引っ張り出して眺めていた。展覧会の図録は買ってくるのだが、たいていは本箱に直行、ツン読になっている。自由に外出できない身体になった今、充分に時間が出来た。こんな時間も悪くない。  2008年4―5月に、京都国立博物館で行われた河鍋暁斎展の図録はA4判で300ページを越す大冊、重くて、麻痺し…
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80年を振り返る

 今年も後1日。来年は満80歳を迎える。2011年6月に脳卒中に倒れてから、もう5年半。ずいぶん長く生きたものだ。僕のようなヨイヨイが増えると、日本は困るだろうな。若者達のために、早く死んであげたいのだが、寿命はまだ尽きない。尊厳死協会に、登録しているのだが、倒れた時には助けられてしまった。  多少の曲折はあったが、僕の人生は幸せ…
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クリスマスはケーキの日

 昨日のデイケアでは早目のクリスマスパーテイ。ケーキの台に、それぞれ好みのトッピングをして、ジングルベルを聞きながら食べる。日頃、刺激の少ない老障害者にとっては、結構、楽しいイベントだったらしい。でも、僕は血糖値が高くうなったところなので、パーティへの参加は遠慮。少し離れた喫茶スペースでウトウトしていた。  よく考えたら、このパー…
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ふるさとの香

 日曜日には、岐阜県の加納高校時代の同級生が3人でやってきてくれた。そのうちの一人は岐阜の田舎、上羽栗村の小学校で2-4年生の時の同級生。彼は定年後、母上の住む岐阜に帰っていたが、母上が先年亡くなられたので、八王子の家に戻ってきた。そこで久しぶりに会うことになったのだが、僕が障害者になってしまったので、家までやってきてくれた。寿…
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十六ささげ(幼友達)

 昨日は、ふるさと岐阜の小学校の幼友達、昌子ちゃんと孝子ちゃんが、大垣と岐阜から出てきた。横浜在住の千春君が、彼女達を新横浜駅で拾って、車で小平の我が家まで、連れて来てくれた。脳卒中で倒れて以来、彼女達には会っていないから、5年ぶりかな。懐かしい。故郷の話が弾んだ。  写真は、彼女達がお土産に持ってきてくれた十六ササゲ。僕にと…
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アジサイ

 5月26日のブログで紹介したピンクのアジサイ、今年の梅雨でこんな色に変化した。面白い色なので、パートナーが切ってきて、食卓に飾ってくれた。なかなか渋い色で、風情がある。5月の色が若々しいピンクなら、今日7月のアジサイは中年のエンジと、老年の落ち着いた緑といったところ。この緑は秋になると紅葉して、また風情のある花になる。 …
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グラジオラス

 玄関脇の小さな庭で、今年もグラジオラスの花が開いた。10年ほど前に、岐阜の田舎の小学校の同級生昌子ちゃんから球根を貰って、肥料もやらないで、植えっぱなしにしてあるものだが、株立ちになって、今年も花茎が4本出ている。今朝見たら、その一本が、花を開いていた。ふるさとが懐かしく思い出された。彼女は、元気かなあ。
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紫花菜(=花ダイコン)の交友

 誕生日のプレゼントに、末娘が『紫の花伝書-花ダイコンを伝えた人々』(細川呉港著、中国書店・集広社)を持ってきてくれた。中国書店とは福岡にある出版社で、中国やアジアの図書を紹介している会社。パートで大学の留学生のお世話係りをしているので、そんな関係で紹介されたのだろう。  本はB5判350ページほどの部厚いもので、終戦後に、満州か…
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馬籠宿(思い出)

 何気なくテレビをつけたら、クール・ジャパンと言う番組で、中仙道の馬籠宿を写していた。懐かしくなって、最後まで見てしまった。  2008年11月、田舎の小学校の同級生6人で、木曽路の旅に出かけた。男4人女2人だが、男二人と女一人は、もう死別のシングル。僕は6年生で村を出てしまったので、大人になってからは殆どあっていない。それが20…
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隴(ロウ)を得て、蜀(ショク)を望む

 デイケアのレクレーションの時間に、諺(コトワザ)のクイズがあった。その中の一つがこの諺。後漢の光武帝が建国の折、「隴を征服、サア次は蜀だ」といった故事を踏まえて、三国志で有名な魏の曹操が、『人の欲望にはきりがない。いま(シルクロード交易の中心である)隴を得たのだから、(孔明が頑張っている)隣の蜀まで手をだそうとは思わない』と言った事か…
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えびね

 今日は良い天気。パートナーに玄関の椅子をガレージに持ち出してもらって、そこで庭を眺めながら日向ぼっこ。冬には赤い実をつけていた万両の根元に、えびねが咲いていた。このえびね、岐阜の田舎の小学校の同級生が、6年ほど前に、関が原の麓から送ってくれたもの。彼女の家の庭で自生したものらしい。小さな苗だったが、いつのまにか根ついて、数株に増え…
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香港からの来客

  昨晩は、ラムちゃんが、白馬にスキーに来たついでに、我が家に立ち寄ってくれた。早口の英語を機関銃のように繰り出す彼女、もう50を過ぎているはずだが、相変わらずタフで、行動は自由奔放、今日は北海道かと思えば、明日は九州に飛ぶ。初めて彼女に出会ったのは、彼女が19歳の新米バスガイドの時。僕と亡妻が、現地の香港半日ツアーを申し込んだら、…
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A97)リハビリ川柳 お盆 

年老いて、帰る郷なし、盆休み  僕は78歳。岐阜の故郷の村には、生きている親族は、もう誰もいない。 子や孫の、ふるさとになる、この我が家  この東京小平の家が、子供や孫達の故郷になった。子供や孫達は岐阜の生活を知らない。 墓参り、この身体では、難しい   故郷の村には、両親や祖父母、妻の眠る墓がある。でも、…
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A96)自分史

 自分史「風紋シリーズ第三集」として、「風太郎オリエント紀行-還暦からの青春旅行」の印刷冊子が出来上がった。脳出血のリハビリとして、このブログに連載したものを、纏めて、印刷製本しただけのものだが、第1集「風三郎日舞を習う―古希は芸者姿で初舞台」、第2集「風三郎病を生きる―糖尿病と脳出血」と三冊も揃うとやはり嬉しい。  今日は、長女…
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B26) 原子爆弾と原子力

 今年は70年目の終戦記念日。広島や長崎に、「新型爆弾」が落とされて、無条件降伏が決まった。僕は疎開先の国民学校の2年生。名古屋に残った両親は、もうこの世にいなかったので、祖母と一緒に田舎に留まった。情報から隔絶された田舎で、「原子爆弾」と言う言葉を知ったのは、何年も経ってからの話である。原子爆弾については、進駐軍の「軍事機密」であった…
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