若冲(3)枡目描き

 二条城への自転車散歩の帰り道、紫紅社ビルのショーウィンドウに、紫紅社で1994年に出版された豪華本『若冲』(5万8千円)が、在庫整理として並んでいた。この本はB3版362ページの内276ページがカラー図版で、動植采絵をはじめ、掛け軸、屏風絵、障壁画、天井画、版画と、若冲の作品をほぼ網羅している。その時は現金を持っていなかったので、翌日また出かけて、定価の半額以下で購入。重い本を自転車の荷台つけて上桂の家まで帰った。

 この本には全体図のほかに、拡大図が加えられており、若冲の筆使いまで想像できる。その中で、1センチくらいの升目で塗りつぶして作ったデジタル画像のような、ユニークな掛け軸(白象群獣図)と、屏風(百獣図屏風、鳥獣草花図屏風)に目をひきつけられた。
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 余白の効果を生かす、伝統的な日本画ではない。塗り潰すのは、漆細工の基本かもしれない。あるいは、美術織物を作るときの下絵かもしれない。そう考えて眺めると、百獣図屏風あたりは、芝居の緞帳や、祇園祭の山車の壁掛けに使えそうである。

 絹に描く場合、裏彩色や、絹目から漏れる反射光を計算に入れて、肌裏紙にまで気を使った若冲である。紙の上で絹と同じ効果を試してみたかったかもしれない。

 この枡目描きについては、芸術新潮2000年11月号で、狩野博幸氏は、西陣織の正絵と関連付けて、次のように解説おられる。西陣織で、織物に絵や複雑な模様を取り込む時には、原寸大の方眼紙に、下絵を写し取り、織物の設計図(正絵)を作る。これを「絵としても面白い」と考えた若冲が、軸装したのではないだろうか。また、軸装の白象群獣図には、若冲の落款があるが、屏風には落款がないところを見ると、これは織物工場で手を加えられた設計図ではないだろうか。

 美術織物は、明治になってからも、日本輸出品として、盛んに作られた。明治37年のセントルイス万博には、川島織物から「若冲の間」が出品された。動植采絵17点を模写して、タペストリーに織りこみ、室内装飾としたもので、好評を博したらしい。僕がこの話を知ったのは、2005年の愛知万博に先立って東京国立博物館で行われた「万博の美術工芸品」の展覧会。愛知万博には行かなかったが、この展覧会には行った。日本から過去の万博へ出品された品々、すなわち絵画そのものではなく、絵画を模写した繊維工芸品、陶磁器、漆工芸品、金属工芸品、七宝などが陳列されていた。明治政府の輸出振興の意図がうかがえる。



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