3-5)ギルギットでポロ見物

画像

 4月15日。パキスタン第三日目。5時半起床、好天に恵まれて、7時出発。チラスの手前、20-30キロの地点から、インダス川の深い峡谷は、急に広がり、岩砂漠の様相を呈する。でも、この岩砂漠は、どうやら大昔の氷河の跡らしい。インダス川の川原にしては、広すぎるし、岩に丸みが無い。カラコルム・ハイウエイは、チラスからギルギットまで、そんな岩砂漠の小高い丘を越えながら、平坦な道で続いている。

 この旅行で始めての観光は、チラスの岩絵。これは、帰り道で見たシャティアールの岩絵に比べると、規模はだいぶ小さい。岩絵というのは、川原の石に彫られた線刻の仏像などで、ガンダーラ仏教の華やかなりし頃に、この道を通った僧達によって彫られた物らしい。褐色の石の表面を5ミリほどの深さで削り取って、中の白い石を浮き出させた物で、ナスカの地上絵などと同じ発想である。因みに、カラコルム・ハイウエイのルートは、古代中国とインドを結んだ、仏教伝来の道でもある。三蔵法師や、鳩摩羅汁、法顕等も、このルートを歩いたのであろうか。この道は、ガンダーラからインダス川をさかのぼり、クンジェラブ峠を越えてカシガルに至り、更に天山南路で、キジル千仏洞、楼蘭、敦煌を経て、河西回廊から長安に至る、仏教伝来の大動脈である。チベットのソンチェンガンポ王に朝貢した、カラコルム地方の王たちに対して、唐はこの大動脈を確保する為に、高句麗出身の高仙芝将軍を、ギルギットまで遠征させている。楊貴妃や阿倍仲麻呂の時代である。

 何も無い岩砂漠の中で、トイレ休憩。山を眺めながらの、放出は気持ちが良い。チラスからここまで、我々は2台の小型バスに分乗して来たのだが、ここでギルギット方面から来た大型バスと、我々の小型バスを交換する事になった。フンザ方面は、大型バスでも通れるが、ペシャーム方面は、まだ大型バスは通れなさそうである。

 ナンガパルパット(8425米)が見え始めた所で、写真休憩。残念ながら、この日は、山頂に雲がかかっていて、山は半分しか見えなかった。でも、帰り道にここに立ち寄った時には、快晴で、眠れる美女の形だと言うナンガパルパットの全貌を見る事が出来た。この美女は、登山家殺しの山でもあるらしい。

 ギルギット川が、インダス川に流れ込む地点は、ヒマラヤ、カラコルム、ヒンズークシの三大山脈を分ける地点でもある。世界の臍にやって来た孫悟空の心境で立小便。

 ギルギットの町に入ると、緑が目にしみる。早春の若葉の季節だというのに、濃い緑に覆われた一大オアシスである。今まで走って来た山岳地帯や岩砂漠が、昨日の悪夢のように思われる。ギルギットの綺麗なホテルで昼食。食堂からは、雪を頂く7千メートル級の山々を一望できる。下に広がる英国風の庭には、緑の香り立ち登り、初夏の上高地を思い出させる。ギルギットは、インド・パキスタン紛争で有名な、カシミールの中心地なので、軍隊が町の治安を担当しているらしい。しかし、旅人の見る限りでは、町に緊張した雰囲気はない。インドとパキスタンの緊張状態は、現在の北朝鮮と韓国の関係と、同じ程度なのだろう。

 ギルギットのバザールは、道幅も広く、呼び込みも無い。気に入った店があれば、客の方から入って行けばよい。バザールに集う人々も、なんとなくのんびりとした顔をしている。制服姿の中学生も見かける。パキスタンの中では、かなり豊かな町らしい。

 そんな中を、馬に乗った若者達が、通り過ぎて行った。ポロの試合があるらしい。ポロという競技は、馬に乗って、獲物を取り合う競技である。ここでの獲物はボールだが、ユーラシアの騎馬民族達は、羊だったとか。だから、ポロ発祥の地は、イギリスではなく、ギルギットだとも言う。でも、この地のポロの試合は荒っぽいので、イギリス人達は、この地のチームの挑戦は避けるとか。シャーさんは、この地のポロチームのメンバーでもあったので、試合となれば血が騒ぐらしい。皆も見てみたいと言うので、ちょっと覗いてみる事にした。生まれて初めて見る、ポロの試合は、スピード感があって、なかなか面白い。この地の試合は全てアマチュアで、入場料も無ければ、賭け事も無い由。それでも競技場は、男性の観衆で満員。シャーさんの顔で、我々は中央の特別席に案内される。笛や太鼓の陽気な音楽は、試合の進行具合を、遠くの観衆にも伝えているのだという。20分ほど試合を見てから、フンザに向かう。



この記事へのコメント

この記事へのトラックバック