3-4)トラックに乗る。

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 何も無いと思っていた、第1の崖崩れ地点の向こう側に、酒屋さんが配達に使うような、軽トラックが一台あった。第二崖崩れ地点から、人海戦術で車を持ち上げながら、何とか無理をして搬入したらしい。第二崖崩れ地点には、それらしき轍の跡が鮮明に残っていた。この車で、第一と第二の崖崩れ地点をピストン輸送をしているのだが、荷台に立てる人数は、どう見ても10人が限界である。皆で相談の結果、お年寄りと足の弱い人を優先して車に乗せ、僕を含む「元気な若者達」は、ともかく歩き出す事にした。



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 幸いにして、天気が良かったので、ハイウエイの徒歩行進は快適であった。対岸の絶壁に、原住民の岩穴住宅を見つけたり、砂金採り達の筏が、インダス川を渡るのを眺めたり、5キロの道はイベントに満ちていた。途中、靴をぬいて、道路と交差する谷川を渡る事三回、深さは2-30センチ程度だが、流れが速いので、うっかりすると足を取られる。それに、雪解け水なので、痺れる様に冷たい。水から上がると、足が真赤になっていた。

 のんびりと歩いていたら、うしろからツアー仲間の女性二人が駆け寄ってきた。若い女性が歩いているのを見て、現地の若者が何処からか出て来て、前になったり、後ろになったりしながら、小銭をねだるらしい。すぐ近くを歩いていたフンザの中年女性が、つたない英語で、「彼等はこの地方の教育の無い人達なので、気を付けた方がいい」と教えてくれる。彼女もその若者の事が気になるらしい。若い女性達を先に行かせて、小生とフンザ女性が後ろを歩き、現地の若者をマークする。彼が先に進もうとすると、小生が彼の斜め前に行き、振り返ってニャッと笑う。彼も笑いかえすのだが、それで彼の足が止まる。言葉は通じないが、動物的な感は鋭いらしい。後で聞いた所によると、日本人の学生が誘拐されて、身代金の請求をされたのは、この近所だったとか。このあたりの山岳民族は、パキスタン国内でも、周りの人々に、かなり恐れられているらしい。でも、歩いたおかげで、インダス川の砂金採りや、対岸の絶壁の岩の中にある穴居住宅など、まず日本では見られない風景を楽しむことが出来た。

 第二崖崩れ地点では、谷川に発生した土石流が、百メートル程の幅で道路を埋め尽くしていたが。比較的簡単に通過することが出来た。でも、迎えの車が来ていない。仕方なく、満艦飾のトラックをチャーターして、その荷台に乗る事になった。パキスタンのトラックは、運転席の上に大きな飾り屋根を付けて、車全体を曼荼羅の様に塗りたて、まさに総天然色の霊柩車のようである。まさかこんなトラックに乗る事はないと思っていたのだが、崖崩れが変な体験をさせてくれた。写真はそのトラックと僕。

 床に絨毯を敷き、壁は布で覆ってくれたが、乗り心地は、荒海に出たモーターボートである。またトラック運転席の上にある、おおきな飾り屋根が、前方に浮力を生じさせるので、荷台に乗っている者達は、いつのまにか後方に押しやられる。寿司詰め荷台で、位置を確保するのに、かなりの努力が要る。始めは、異常な経験に、はしゃいでいたものの、外の景色の見えない荷台で揺られる事、約2時間、みんな疲れきってしまった。

 因みに、この飾り屋根は出、単なる趣味の問題ではなくて、荷物を出来るだけ多く積んで走る為の工夫らしい。車の先端に箱船型の屋根を取り付ける事で、車が走ると浮力を生じ、タイヤに掛かる圧力を減らす仕掛けになっている。その代わり、車の重心が高くなるので、走行の安全性が失われる。車の先端を流線形にして、走行の安定性を確保している日本の車とは反対の考え方である。その飾り立てたトラックの荷台で、2時間揺られてみて、初めて飾り屋根の効果を実感できた。

 今日の昼食の予定地、チラスのシャングリラ・ホテルに着いたのは、既に4時を過ぎていた。早朝6時の出発以来、何も食べていないのだから、皆の気が立っていた。中には怒り出す人もいる。こんな時に、「インシャラー」と、澄ました顔をしているのが、パキスタン人である。どうやら日本人は修行が足りないらしい。

 食事の後、フンザに向けて出発の予定であったが、ギルギットからフンザに行く道で、崖崩れの復旧工事中に、兵士4人の死亡事故が発生したので、軍が亡骸回収の為に交通遮断を決めたという。シャングリラ・ホテルに宿泊を決める。夜は庭に出て、持ち込んだジョニ黒で閑談。


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