3―12)タキシラと帰り道

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 4月18日。パキスタン最後の日。ペシャーム発6時。一路タキシラへ向かう。タキシラは、ガンダーラの仏教遺跡の一部として、ユネスコの世界遺産にも登録されているので期待していたのだが、全くの期待外れ。ダルマラージカ、ジャンディアール、シルカップの3遺跡と、タキシラ博物館を見学したものの、めぼしい美術品は何も残っていない。大英博物館を始めとする、欧米の博物館に全てを持ち去られたのであろう。遺跡では、盗掘品の密売人達が、怪しげな仏像を持って近寄ってくるが、博物館の展示品の質から判断して、それらが贋物である事は明白である。遺跡の管理人は、入場料を徴収する以外に、日本人観光客に、ボールペンをねだるのも仕事の一つらしい。貰ったボールペンは、マーケットで売れるのだという。

 イスラマバードのシャー・ファイサル・モスクを車中から眺めた後、ラワール・ヒンディのスーパーマーケットで、残ったルピーを使い切る。今回の旅行では、30ドルしか交換していないが、それでも余ってしまった。オレンジのマーマレードと、パキスタン紅茶を買う。この地のオレンジは、日本の蜜柑にそっくりの形をしているが、新鮮で、甘く、香りが強い。種があるので、やや食べつらいが、香りの良さで十分に報われる。ホテルの朝食で食べた、パキスタン産のマーマレードも、香りが素晴らしい。紅茶はブラックティと称するミルクティー用の少々苦い品種である。

 ホテルで急いで夕食の後、空港に向かう。夜の10時過ぎだというのに、イスラマバードの空港前広場は、お祭りのように賑わっていた。メッカの巡礼から帰ってくる人を、村中総出で出迎えているのだと言う。田舎から出てきた人々は、空港前広場で野宿をしながら、朝の便で帰國する人を出迎えるのだろう。そんな人々を相手に、屋台や物売りも集まっている。人の身体に触れないで歩く事が難しい。スリに気を付けながら、空港ビルに向かう。

 イスラマバード空港は、うら寂れた田舎の船着場といった感じ。チェックインカウンターや税関の、蒸し暑い部屋には冷房設備が無く、天井には扇風機が回っている。薄暗い照明の下で、空港職員達が、のろのろと作業をしている。傍らでは、同じ様な空港職員が、仲間同士でおしゃべりに余念が無い。到着の時は、深夜という事もあって、シャーさんが空港職員と交渉して、何とか早く出られたが、出国の手続きでは、穴蔵のような蒸し暑い空港で、一時間余りを過ごす事になった。我々31人のグループの中で、3人の荷物が開けられ、嫌がらせとも思える程の、綿密な取り調べが行われた。調査の目的は、麻薬と、ガンダーラの美術品の持ち出し、それに爆発物の有無である。日本の税関では、パキスタン人に対して、とくに厳しい入国検査をしているので、その仕返しであろう。二度と利用したくない空港である。

 往復に利用した、パキスタン航空も、二度と利用したくない航空会社である。イスラム圏の飛行機なので、アルコールのサービスはないし、おんぼろ飛行機の座席は、座り心地が悪い。行きの便では、座席の肘掛けにある灰皿には蓋が無く、灰皿の上に本を置いて肘をおろす。4個所の後部トイレの2個所は使用不能。鍵は全部壊れていた。これは、帰りの便でもほぼ同じ。経由地の北京では、乗客は1時間機内待機。その間に中国の清掃員が入ってきて、我々の座っている前で、機内掃除。これも頂けない。それでも飛行機は、日本人のツアー客と、中国人のビジネスマンでほぼ満席。サービスは悪くても、安ければそれなりの需要があるらしい。

 出発前には、飛行の安全を祈願して、コーランが放送される。おんぼろ飛行機で、無事に目的地に着けるかどうかは、神のみぞ知るのだろう。我々の乗った飛行機は、よく揺れた。落ちれば、下はゴビ砂漠であり、タクラマカン砂漠であり、カラコルム山脈である。飛行機が不時着をしても、救援隊が到着するまで、生命の安全が確保される保証はない。正に「インシャラー/神のみぞ知る」である。後で聞いた所によると、カラコルム山脈上空の天気が荒れていたので、我々の飛行機は、安全な航路を求めて、再度航路を変更したが、それでも安定した航路が見出せなかったので、悪天候の中を強行突破したのだという。

 無事日本に帰ったものの、疲れが出たのか、翌日から下痢が始まった。1週間ほどで自然回復。旅行中に始まらなかったのが、幸いである。

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