C11)王昭君の掛け軸

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中国の広州空港が、旧空港から新しい白雲空港に変わったのが、2004年の8月5日。僕が、四川省の旅を終えて、広州空港から帰りの飛行機に乗ったのが、7月の12日。空港内のどの店も、ほとんどが閉店半額セールをやっていた。それに釣られて、店を冷やかしていたら、日本円でどれでも1万円と言う掛け軸が、たくさんぶら下がっているのを見つけた。5-6本ちらりと見て、下手な絵ばかりだったので、立ち去ろうとして、振り返ると、ふと目に入ったのが、写真の絵である。何処かの画学生が、有名な絵を模写したものであろうか。絵の構図は悪くない。画賛に目をやると、絵はどうも王昭君らしい。女性の顔は近代的で、王昭君の古典的なイメージとはどうも合わないが、僕はなかなか面白いと思った。まあ、1万円なら手頃な旅の記念だと思って、早速買い求めた。

画賛には、秋になって、雲淡く天が高くなって、月夜に雁が南に渡ってゆく。草原に立つ艶麗なる美女は、画師に賄賂を贈るのを断ったので、醜く描かれて、漢の後宮から、漢と匈奴の同盟のための贈り物にされたが、故国を思う情は深い。とあり、王昭君とは、一言も書いてない。でも、中国の故事を知っているものなら、これで十分推測できる。

王昭君は、BC33年、前漢の元帝の後宮から、匈奴の呼韓邪単于に、同盟の証として贈られた。彼女は、呼韓邪単于の妻となり男の子を産んだが、呼韓邪単于の死後は、遊牧民に多いレヴィレート婚という、匈奴の慣習により、その本妻の息子・若鞮単于の妻となり、2女を得た。このことが、中国の道徳規準に違反するため、王昭君はそれを悩んで、自殺したとか、鬱々として楽しまなかったとか、中国では悲劇の主人公にされている。しかし、事実は、親子2代の単于に愛されて、無事生涯を終えた王昭君は、何百人もいる後宮の女として、いつになるか知れない、寝室の順番を待つよりは、異郷の地にあっても、単于の妻として愛され、子供を儲けたことは幸せだったに違いない。

この掛け軸は、多分何処かの画学生の習作で、市場では、ほぼ無価値だが、僕にとっては、四川旅行のかけがえの無い、思い出の品として、価値のあるものである。お宝拝見に出てくるような絵ではないが、僕は気に入っている。我が家の床の間に、もう長年掛けてあるのだが、まだ飽きが来ない。

因みに、成都の杜甫草堂の付近には、この種の掛け軸を制作販売する店がたくさんあって、画学生や貧乏画家が、同じ画題の習作品を、何枚か持ち込む。それを業者が、二束三文で買い取り、いいものを選んで表装し値段をつける。面白いことに、その習作の落款は、同じ作者なのに、一枚一枚違っている。何かの判断基準があるのだろう。

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