風三郎 日舞を習う/リハビリ日記

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zoom RSS M21)神山家住宅母屋(小平故郷村2)

<<   作成日時 : 2017/04/15 08:30   >>

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画像 M3)で記憶を頼りに書いた小平ふるさと村へ、デイサービス・まごころクラブから、孫娘のような可愛い介護士に、車椅子を押してもらい出かけた。 倒れて以来行っていないので、もう5年以上が経って、周りの景色は変わっているが、ふるさと村は保存公園なので、昔のまま。何だか故郷に帰ってきたような気持ちがして懐かしい。この村の中にある神山家住宅を小平市に寄付した神山さんとは、デイケア・プラチナビラで2年ほどご一緒して、お家の昔話を何度も伺ったので、まるで自分の家のように思える。倒れる前にはなかった感情である。

 神山さんとのお付き合いについては、2014年4月22日と24日のこのブログに、Aさんとして書いたが、一昨年、天寿をまっとうされた。彼は僕より10歳年上の昭和2年生まれだが、小平村の歴史の研究者でもあり、江戸時代や明治時代の話を昨日のことのように話してくれた。このあたりは江戸ではなく、川崎の代官所の管轄で、諸手続きには多摩川を下っていった話や、小平村成立の歴史、当時の農村の様子、それに彼自身の農業体験などなど。その神山さんが、前半生をすごしたのが、この家である。馬は大事な労働力だったので、母屋の中に「馬小屋」があったという話は、聞いた時には奇異に感じたが、今回ふるさと村でそれを確認。彼が苦笑していたシャンデリアとは、天井から吊り下げた蛍光灯であった。彼の住んでいた頃は、裸電球だったのだろう。また彼が憤慨していたうどん屋は、神山家住宅から管理棟に移動していた。神山さんも安心したことだろう。

 車椅子を押してくれた介護士は、平成生まれの都会育ち。昔の農家のことなど何も知らない。石臼の使い方や、草鞋の編み方、米と籾殻を分離する送風機、などなどが珍しいらしい。田舎育ちの僕が説明すると喜んで聴いてくれる。思いがけぬ楽しい時間であった。

 神山家住宅に置いてあったパンフレットで、この住宅が江戸時代に前原町から「曳屋」で移動したものであることを知った。曳屋とは、家を解体しないで、土台を持ち上げて、コロを入れ、そのまま移動する方法。現代では、地盤沈下のときの傾きの訂正などに用いられる工法だが、江戸時代にそんな工法があったとは驚いた。前原町から回田町まで、何百メートルも曳屋するには、途中に障害物がないことが条件。当時は何もなかったのだろうか。

 小川家住宅玄関棟では、玄関の低いかまちに腰を下ろして、靴を脱いだ。立ち上がれるつもりだったが、立ち上がれない。両脇から二人の女性介護士が、見かねて助けてくれた。僕にとってはちょっとした冒険、楽しかった。

 ふるさと村を出て、前の遊歩道で桜見物。

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