風三郎 日舞を習う/リハビリ日記

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zoom RSS U16)清親の光線画

<<   作成日時 : 2017/03/12 10:00   >>

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 6尺5寸と言うから、2メートル近い大男の清親は、18歳の時、将軍家茂に従って上洛、21歳まで大阪に滞在するも、伏見の戦いに敗れて江戸に戻る。1868年4月、江戸開城により、その夏、駿河に移住。26歳の時、剣客榊原健吉の撃剣会に入り、諸国を巡業した後、江戸に戻る。どうやら、この頃から本格的に絵の勉強を始めたらしい。河鍋暁斎、柴田是真、ワーグマン等に学んだと伝えられるが、確かなことは判らない。1876年(明治9)に光線画と称する版画を発表、以後明治14年頃までに、90枚近くを出版している。清親らしい情緒のある風景版画は、このあたりまでで、その後の彼の興味はジャーナリスト的な画題になって行く。

 画像彼の光線画を眺めていると、ほの暗い江戸の夜が、明け行く明治の東京の夜に変わってゆく様子が伺える。町にはガス灯が灯り、新しい情緒が生まれた。そのガス灯も初期の暗いガス灯から、マントル付きの明るいガス灯に変わりつつあった。家々の明かりも、蝋燭や菜種油の暗い灯明から、明るい石油ランプに変わりつつある。清親が、光と影に注目して、光線画を始めたのは、あながち西洋画の影響だけではない気がする。明るくなった照明で出来た濃い影も、彼の目には新しい情緒に映ったのだろう。清親の版画には、夕暮れから、夜の明かりの灯る頃の景色が多いのに気がつく。この時間は、光と影の対比が、最も綺麗になる。夜の雪明りや月明かりの絵にも情緒がある。

画像 昼間の江戸の雪景色は、北斎はじめ江戸の浮世絵にも多いので、珍しいことはないのだが、清親の雪景色は時代が近いだけに、懐かしい。そういえば、最近東京ではヒートアイランド現象で、雪は降ってもあまり積もらない。東京小平の我家で、庭に雪のスロープを作って、子供達と遊んだ事を思い出す。こんなことは今では考えられなくなった。明治は遠くなりにけりどころか、昭和も遠くなりにけりである。

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