風三郎 日舞を習う/リハビリ日記

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zoom RSS U15)不思議な電線の絵

<<   作成日時 : 2017/03/11 11:43   >>

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 ネットで小林清親の作品集を探したところ、2015年に静岡市美術館と練馬区立美術館で開催された清親展の公式図録が半額以下の値段で出ていたので、早速購入した。「将軍直属の御家人は最後の浮世絵師」と言うタイトルのついた彼の写真シールが表紙に貼ってある。B5判なので、ちょっと物足りないが、没後百年記念展覧会の展示作品のすべてを、カラーで収録しているので、まずは満足。

画像 この図録を見ていて、不思議なことに気がついた。電線を強調した風景版画が意外に多い。現代のセンスからすれば、風景から電線は邪魔者として外して絵にするのだが、彼はむしろ強調しているように思える。その発表年代も、両国雪中(明治10)、高輪牛町朧月夜(明治12)、赤坂紀伊国坂(明治13)、常磐町紙幣寮(明治13)、虎ノ門夕景(明治13)、箱根山中富岳眺望(明治13、写真)、大伝馬町大丸(明治14)、浅草寺年の市(明治14)と、明治10―14年に集中している。彼にとって、電線は文明開化の象徴だったのだろう。

 しかし、エジソンが白熱電灯事業をニューヨークで始めたのは、1879年(明治11)、日本で電灯会社が出来たのは1885年(明治17)だから、これらの電線は電灯線ではない。電話は電灯よりもあとなので、電話線でもない。不思議に思って、デイケアで無線通信免許を持っている友人に尋ねたら、「無線は昔、有線だったかなあ。」という答え。そういえば、昔は電柱の事を、電信柱(でんしんばしら)と呼んだ。

 ネットで調べてみると、日本の電信線架設工事は、1869年(明治2)に東京―横浜が始まったのが最初で、その後10年もたたない間に、日本全国に電信網が張り巡ぐされた。この通信網は中央集権や、国防上からは重要な役目を果たす。明治10年の西南の役では、西郷軍の動きが、中央政府にいち早く伝えられ、鎮圧に大いに貢献したという。また、1971年(明治4)には、長崎-ウラジオストック間に、海底ケーブルが敷設され、電信網がヨーロッパやアメリカにつながった。1971年に出発した、不平等条約改定のための岩倉使節団は、この海底ケーブル網を使って経過報告をしたと言う。

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